「威勢のいい啖呵じゃったのう。」
今、茂久と久臣がいるのは、一族の墓のある源流から少し上。
嘉月川を見下ろす事が出来る裏山の頂上だった。そんなに背の高くない裏山は、頂上まで登るのにおよそ30分。しかしそれは一般人が登れば、の時間。能力者である2人ならばその半分で十分だ。
町を一望出来、所々にその存在感を放つ銀誓館のキャンパスが点在する鎌倉市を見下ろす祖父の後ろで久臣は苦笑いしか返せない。
「まあ、正直頭きてたしな」
なぜこの様な場所にいるかと言うと、少し風に当たろうと茂久が久臣をここに連れ出したからだ。
あの親族会議の後、一同は解散したが、納得が出来ない一族の者達がなだれ込むように2人の元に押しかけようとしていたのを、茂久の影と彩華が留めて逃がしてくれたのだ。
沸騰した頭ではまともな質問も出ない。ならば時間を少し置いて落ち着いた相手の問いに答える方が互いにも効率的だと判断したらしい。
ちなみに綾乃に関しては、貴也が一族に思いっきり睨みを効かせた上で、伊知郎の家に送ると言っていたので気にする事はないだろう。
その為、この場にいるのは珍しく茂久と久臣の2人だけだった。
「後半もそうじゃったが、臣の最初の怒号の方が驚いたわい」
「……俺だってらしくなかったって思ってるんだ、あんまり言わないでくれよ」
「そうかのぅ?お主くらいの歳ならあれくらい言うたところでおかしくなかろう。何を恥じる」
茂久の首を傾げる仕草が姉の綾乃に似ているな、と思いながらも久臣は先ほどの親族会議を振り返る。正直に言ってしまうと反省ばかりだ。あんなに感情に狩られて高圧的になるつもりなど始まる前は微塵もなかったのに、蓋を開けてみればこの通り。自分の未熟さが恥かしくなる。
「…綾ねえが我慢してたのに俺が怒鳴り散らしてどうするんだって凹んでるんだからさ…一番腹立ってたのは綾ねえなのに」
「そうじゃのう。じゃが、一族の輩達にはお主が言うて正解じゃろうよ。あやつらは頭が固いからの。それに綾乃が我慢できずに言うておったら、風当たりは悪くなるだけじゃ」
「そうかな」
「そうじゃよ。適材適所なのじゃから、そんなに気に病むでない。じゃが、儂もスッキリしたのう。アヤツ等のあの様な顔、久々に見たわ」
楽しそうにかっかと笑う祖父を見て、久臣は呆れて苦笑しか出来ない。
「…龍久殿に言われたよ。俺、爺ちゃんの若い時ソックリだって。なんかスゲー納得」
龍久とは茂久の兄であり、嘉凪の氏族長に当たる人物になる。嘉凪の氏族長で茂久不在時の久臣の一族の運営の指南役になる。その人物に、顔こそ非常に似ているワケではないのだが、性格はそっくりだと言われた事があるのだ。
相手は一族最高の当主と言われ、尊敬する祖父なので嬉しいといえば嬉しいのだが、ほんの少しだけ複雑に思ってしまうのは、非常に楽しそうな祖父の姿が将来の自分の姿だと思うってしまうからかもしれない。
辟易とした様子の久臣を見て、茂久は「なんじゃ、失礼じゃの」とは口で言いながらもやはり笑ったままだった。姉と同じく笑顔が多いこの祖父だが、それでも今日は特に機嫌がいいのがその様子から分かる。よほど楽しかったのだろうなと久臣が苦笑すると、ふと茂久が楽しげだった笑みをいつもの穏やかなものへと戻した。
「とにかく、お主等の好きにするがよい。余程の無理でなければ儂は止めん」
「爺ちゃん…」
「一族の業をお主とその友達に残す儂を恨んでくれ。一族の全ての穢れは、儂が全て持って逝く」
静かな祖父の言葉。
本当は今回の事は茂久自身が行ないたかった事だった。銀誓館の在籍し、世界結界における戦いに身を投じている孫達に、これ以上の負担をかけたくなかった。
自分よりも大きな戦いに身を投じ、幾度となく傷つき戻ってきた事を目の当たりにした茂久は、彼らの宿命を呪った。
嘉凪の家の業を背負い、世界結界の業の一端をも彼らは背負う羽目になった。
銀誓館に在籍することで狂う事を免れたのは大きいが、それでもまだ狂った当主を片付ける可能性は十二分に残している。
誰が憎くて孫達にそんなに沢山の厄介事を背負わせたがるだろうか。両親を失っても、自分を慕って真っ直ぐに育ってくれた彼らにこれ以上の苦行を強いるのは茂久とて辛い。
けれど、今回の事に関しては彼は何も出来ないのだ。能力者の1人として戦う事は出来ただろうが…実は、それすらも許さない理由があって、それを承知している孫達は彼が戦線に上がる事を拒否したのだ。
祖父が何を考えているか知っている久臣は、その事に心を痛めながらも緩く頭を振る。
「…そんな事言わないでくれよ。爺ちゃんには、まだまだ生きてもらわないと困るんだよ。俺も、綾ねえも…まだ、爺ちゃんに何もしてあげてないんだから」
茂久の言葉に辛そうに表情を歪めた久臣は、いつもより少しだけ年相応の少年に見える。
それも仕方がない事だろう。両親を亡くした彼らにとって、茂久は最後の肉親であり、そして彼らをここまで育ててくれた祖父であり、もう1人の父親だからだ。
幼い自分達の親代わりとして、彼に自分達は色んな『もの』を貰った。両親に代わる愛情も、当主としての教えも、全て。
表情を歪めてしまった孫を見て、不安にさせてしまった事を反省しながらもおくびに出さずに茂久はやれやれと苦笑した。
「儂とてまだ死ぬ気はないぞ? 綾乃は貰い手がおるが、臣の嫁を見るまでは死ねんな。」
「…なんだよその基準」
「ふむ。そこも意外と早いかもしれんので、ひ孫を見るまでは死ねないとしておくか。早々に臣が嫁を連れて来ては困る」
「…はいはい、ご期待くださいよ。」
「当たり前じゃろ、ここまで生きたんじゃ。途中で放棄するほど無責任はなかろうて。」
そう言って笑う茂久の様子に、久臣も呆れて苦笑する。祖父なりの気付きなのだろうが、本心が混ざっていないとは言えないのが厄介だ。こっちの事情も知らないで…と心の中で呟き、心中で祖父に対する言い訳やら、こっちの事情と言うものを考える。
「のう、臣」
「なに?」
思考を打ち切られて視線を祖父に戻した久臣の顔を見て、茂久は彼に背を向け、眼下の鎌倉の町々を見下ろす。
正月が明けたばかり(※作中は1月前半です)の冷たい風が頬を撫でる。肌を刺すような冷たさなのだが、けれどそれが感覚を研ぎ澄まさせ、鋭い意識を保つのには丁度良い。
生きていると実感させる感覚を感じながらも、久臣は祖父の言葉を待った。
「……儂はいつまで正気でおられるじゃろうかの」
そうポツリと零した祖父の背中が、少しだけ小さく見えた。
自分の背が伸びて、身長としては抜いてしまったと言うのに、それでもずっと大きなままだった祖父の背中。自分や綾乃を育てて、今まで守ってくれていた背中が、今、ほんの一瞬だけ歳相応に老いて見えた。
茂久の当主の在席期間は歴代の当主の中でも群を抜いて長い。
嘉凪の家の歴代当主はその殆どが年若くで狂気に犯され、次期当主に『狂気から解放』された者が多く、茂久ほど長生きした当主は例を見ないのだ。
それは単に茂久が次期当主 ― 現在で言えば久臣 が成人するまではと気を張って毎日を過ごしているお蔭に過ぎなかった。
気を張り続けて毎日を過ごすのはどんなに辛い事なのだろうか。歳若い久臣にはその感覚が分からないが、ただ、それが非常に難しく、辛さを伴うことだけは容易に理解できていた。
だからこそ、彼の小さな呟きを確かに耳は言葉として拾い上げ、その言葉に対する堪えは考えずとも心の中に既にあった。
「― いつまででも。 俺と綾ねえで狂気も、爺ちゃんが背負う嘉凪の業も…全て祓ってやるよ。爺ちゃん1人に背負わせたりなんてしない。」
気がつけばそう答えていた。
自分達が幼い頃から変わらない、唯一残された肉親であり、大事な家族。綾乃も、久臣自身も、彼に守られ、彼を守るためにここまで強くなったのだ。
今まで自分達を守り育ててくれた祖父を、狂気なんかに奪わせない為に。
それが 綾乃が、そして久臣が能力者として覚醒した理由。 大切な人、祖父である茂久の為に。
久臣の言葉を聞いて、茂久が彼を振り返る。そこには先程までの老いた祖父は見当たらず、いつもと変わらぬ老人と呼ぶには似合わない毅然とした祖父が立ち、久臣に柔らかく微笑んでいた。
「そうか。 ありがとう、久臣。 さて、そろそろ戻るかの。いい加減落ち着いておるじゃろ」
「どういたしまして。 …俺の顔見て再燃しないといいんだけど」
「奴らもそこまで単純でもなかろう。そろそろ貴也も戻ってくる頃じゃ。仲介でもしてもらうとよい」
「…それ、火に油じゃないのか?」
母屋への道を歩き出した茂久の後ろを歩きながら、久臣はもの凄いいい笑顔で黒燐でも吐き出しそうなオーラを放つ貴也と、年齢タヌキの笑顔の一族の老人達を思い出して、笑顔が引きつる。
さすがにその場に居合わせる事になるのは勘弁願いたい。そのメンバーだと、貴也のお蔭で言及は避けられるだろうが、色んな意味で自分の胃に穴が開く。絶対に。
「…俺もえるとの家(もう一個の結社)に今日は泊まってくるかな…」
「なら道場に篭るとよかろう。 ―
そんな話をしながら、2人は山を降りていく。冬晴れの続く空の下、微かに粉雪が舞い落ち初め、再び鎌倉の町を白く染め上げようとしていた。
と言うワケで、今回はとりあえずここで一旦終了です。
一時期完全に止まってしまって大変申し訳なく。
冒頭にも書いていたのですが、この続きは有志の方を募る可能盛大です。
その時には、改めて皆さんのお力…と言うかお子様たちをお借りしたい所存なので、
改めて何かしらお願い小説かくかもです。
お目にかかりましたらぜひよろしゅうに。
そしてまあ、色々フラグ立てた結果がこの小説だよ!
(意味は好きに取ってください・笑
余談。
久臣の生まれの大切な人は綾乃と爺ちゃんですが、
綾乃は既にイッチーがいるので、現在は除外。
綾乃の生まれの守ると誓ったものは臣と爺ちゃんです。
つまり、2人が能力者として開花した理由=爺ちゃんを狂気から守るですね。
それをやっとこ小説と言う形で書けた気がする。