一瞬、何が起きたか分からなかった。
「久臣様!」
彩華の悲痛な叫びが耳についた瞬間に、腹の周辺が急激に熱くなって、途端に周囲の音が消える。自分の腹を穿った妖狐の尾を見て、初めて自分が致命傷を食らったと気が着き、やっと痛みが襲ってきた。
「ぐ……ぁっ」
喉までせり上がってきた血液が食道を焼き、悲鳴すらあげる事も叶わない。拳士である以上痛みには慣れているが、それとは比にならない程の痛み。
命を断ち切る、致命傷。
「久臣様!久臣様っ、お気を確かに!」
距離の離れているはずの自身の影の焦った声が、やけに近く感じる。それもその筈、自分と彼女の間には、たった数人しかいないからだ。
この戦場には自分を含めて味方は10名にも満たない。逆侵攻を阻止する為に編成されたチームだったから。
俺よりも自分の身を護らないと、ここは戦場だぞ……と咎めようとしたのだが、喉が熱くて声が出ない。ヒューヒューと隙間風の様な音が喉から漏れるだけだ。
既に戦える体ではない久臣の腹から尻尾を引き抜いた妖狐が、興味を失ったように視線を外して次の獲物を探す。その冷たい視線が 彩華を射た。
自分ですら返り討ちにあった相手だ。注意を欠いた彩華にがとっさに反応出来るはずもない。
ましてや、既にどの戦場も人手不足。助けがくるとは万が一にも思えなかった。
自身の血にまみれた尾をそのままに、妖狐が彩華達がいる方向へと向きを変えた。
「ぁああああっ!」
腹から、血で焼け爛れた喉から割れた咆哮があがる。
血で塗れた姿もそのままに、倒れても尚手にしていた武器を強く握りなおす。
こんな傷で、自分達の10倍もある数の敵を殲滅する事など出来るはずがないと分かっていた。けれど、自分が立ち上がれば後ろへ向かう敵の歩みも数秒は遅くなるだろう。
それでよかった。
数秒あれば、彩華も冷静さを取り戻すだろう。
体全体が悲鳴を上げる。抜けていく血と力を無理矢理奮い立たせて地面に再び立ち上がる。けれど、武器を振るうほどの力も満足に残っていない上に、そんな自分を捨て置くほど敵陣営も甘い集団ではなかった。
視界を埋め尽くす敵 敵 敵
彼らの視線が自分を射たと思った瞬間、 意識は途切れていた。
「……っ、うっ」
耳に届いたのは、低い呻き声。
「久臣様!?」
呼ばれた名前が自分のものだと分かる頃には、暗い世界は徐々に光を取り戻す。
目蓋をしっかりと開ければ、視界には高い位置にある白い布が見える。そして心配そうに顔を覗きこんできた顔には見覚えがあり、その頃には脳に巡った血液が正常に彼女の名前を思い出させた。
「彩華……ここは?」
見慣れた顔に、起き上がっても安全な場所だと把握して体を起こそうとするが、腹部に走った鈍い痛みに唇を割って苦い声が零れる。
それに慌てて彩華が体を支えて、体を起こしてくれた。
「銀誓館の陣営の救護班のテントの中です。久臣様も私も、先の戦場で敵にやられてここまで運ばれてきたのです。
……覚えていませんか?」
何を、とは言われなかったが、彩華が言いたい事は体中に走る痛みが、そして腹部を焼く熱が思い出させる。妖狐達の戦力に自分達が破れた事実を。
そして、腹部の痛みが引かない事から、自分は今日はもう戦場に戻れない事も。
「……倒れる直前までは覚えてる。」
苦く呟きながら体を起こせば、周囲には自分と同じように救護班のメディックに治療をされている者達が所狭しと寝かされていた。
起こした体は重く、熱い。緩慢な動作しか許さぬと言わんばかりの重い体に、自然と苦い笑いが零れる。せっかく友人から応援をしてもらったのだから、その分の働きは見せたかったのだが、この怪我の状態ではそれも無理そうだ。
重傷はこれが初めてではないが、この後来るであろう姉や義理の兄、知り合いの皆にどう説明したものかと考えようとした思考を、静かな声が遮った。
「なぜ、あの様な無茶をなさったのです。」
声の主を見れば、表情こそ普段とあまり変わらないが、確実に怒っている様子の彩華が、責める様な視線で自分を見つめていた。
「……逆侵攻に行った事か? 重傷になるのが高くなるって分かってて行ったのは悪かったよ」
「そんな事を申している訳ではありません。
なぜ、あの時あのタイミングで立ち上がったのです。もう少し待てば……重傷を負うほどではかなったかもしれないと言うのに……」
あの時の様子を思い出しているのかもしれない。彩華は珍しく辛そうに表情を歪めると顔を俯けてしまった。
自身の血に塗れ、それでも咆哮を上げて立ち上がって武器をかざして戦おうとして、……そして再び敵に切裂かれる主の姿が目蓋を離れない。彼の背中を護るのが自分の役目だと言うのに、手すら届かなかった。
凌駕したばかりの彼に、自分の置かれた立場など判断出来ない状況だったのは分かっている。けれどと自分の胸に巣食う罪悪感が思ってしまう。
あの時、あの瞬間に立たなければ、と。
そうすれば、あともう数分は時間が稼げて、自分の手が届いたかもしれないと。
まだ戦争の真っ只中なので泣く事はしないが、悔しそうに肩を震わせる彩華の姿に久臣はふーと長い溜息を吐いた。
「彩華に辛い思いをさせたのは謝る。」
「……私に謝罪など無用です」
「影のお前を置いて倒れたんだ。謝らせてくれよ」
拗ねた様子の自分の影に困ったように苦笑して、それでも謝罪の言葉を口にする。その声にきちんと反省の色が読み取れたらしく、俯かれていた紫の双眸は再び久臣を映す。
「悪いと思うのでしたら、しっかり応援に回ってください。」
「OK、しっかり応援するよ。 で、戦況は?」
「芳しくはありません。」
きっぱりと、残酷にも告げられた言葉。
そんな最中に、学園でも中堅にそろそろ入るだろうと思われる自分が抜けた。学園の絶対数から言えば些細な戦力だと分かっているが、それでも今は一人でも多くの人が必要だ。 それ程に今回の戦争も消耗が早い上に、負けられない理由が多い。
「怪我をおして、など愚考をしていらっしゃらないでしょうね?」
「分かってるって。」
チクリと刺された言葉に苦笑しか返せない。
本当に彩華は痛いところを突いてくる。それが影なのだと言われれば、そこまでなのだが。
「彩華、まだ戦えるか」
「勿論です」
「1ターン保ってくれ。その次には信頼出来る人も戻ってくるはずだ。その人に彩華のタッグを頼んでみる」
言葉に頷きが返ってくるのを認め、立ち上がる。まだ腹に鈍い痛みがあるのだが、座り込んでいられるほど自分は自分に優しいつもりはない。
怪我を負い、それを生命賛歌で回復させ、それでも戦線に立つ者は数多くいるのだ。生命賛歌では怪我を負った時の痛みまでは消えない。だから戦えば戦うほど、痛みを重ねる事になる。
そんな人達の中、自分だけ痛いと言える様な性格ではない。
蒼い装束を赤く染めたまま立ち上がった主の姿に、彩華は片膝をついて頭を垂れた。
「我が主よ、命を」
「俺の分まで戦ってきてくれ。 武運を祈る」
声変わりを重ね、少しずつ低くなってきた少年の声に、彼の影は力強く頷くとその場から姿を消して彼の為に戦場へ向かう。
自身の影が消えたのを確認し、背筋を伸ばすと腹に熱さと痛みが蘇る。けれどそれに表情を歪ませる事なく、ある陣営へと足を向けた。
結社陣営が立てられている一角 ― 自分の姉が団長を務める一角に。
実のトコを言うと、9T目に綾乃、久臣、彩華が健在の場合、
嘉凪は三人とも戦線に投入する気満々でした。その事考えて手が震えましたけど。
ウチの子らは全員、こう、なぜか根底は熱血系です。熱いです。
特にその先陣をきるのは久臣です。なにせ拳士っすからね。
だから戦争で重傷を負うと、ケロっとしてるけど実は腸煮えくり返りそうなくらい
実は悔しがってたり。
綾乃が結社や知り合いが重傷を負って辛くて泣きそうだけどしっかりと戦場に立つ一方、
久臣は苛立ちや腹立たしさを感じながら戦場で敵に叩きつける感じですねぇ。
気質は綾乃が水、久臣が炎って言ったら分かりやすいやも。
まあ、戦争終ったしあんまり深い意味もないのですけど、昨日の重傷を受けて
ネタが光臨した結果っす。
おもっくそ某氏たちの期待を裏切ったけど、まあ、それは次回ってこった。
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